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2016年8月 3日 (水)

日立航空機株式会社立川工場変電所

日立変電所跡地に行ってきました。

ある地域の後援会の方々と

ちょっと立ち寄った

ちょうど予約団体がいて

公開日ではないが

その団体と、東大和市社会教育課の

方のご厚意で

一緒に中に入り、説明を聞き

一般公開日でも通さないという

2階にも入らせていただいたのです。

Cimg4572

階段の下側にも

銃弾が貫通したあと

多摩地域には戦前から軍需工場が集中したそうだ

特に航空機、自動車、兵器などを製造する大企業が・・・

航空機のエンジンを製造する工場と

社員、工員の社宅、給水塔なども・・・

工場稼働の基幹となる変電所

これらは、昭和13年に建設されたそうだ

物資統制が行われていた時代でも

軍需工場の建設であったため

鉄材、セメント、木材などが優先的に取得できたとか。。。

昭和20年

日本の劣勢が決定的になった19年以降

たびたび空襲を受けるようになった。

この変電所は3回

グラマンF6Fとか、ムスタングなどの米軍機によって

空襲や爆弾の投下が行われ

111人が亡くなったと言われています。

Cimg4573

Cimg4574

この建物は至る所に空襲を受けたときの

機銃掃射の銃弾のあとが建物中にあります。

銃弾が貫通し

低圧変電版にも

穴が開いていました。

Cimg4577

穴が開いた状態でも

稼働していたと言われます。

建物も耐震改修が施されてはいますが

3.11の基準ではなく

阪神淡路の時の基準のようです。

銃弾が貫通したり

爆弾が破裂し、その衝撃で穴が空いた場所も

周辺をドリルで穴を開け

中にコンクリートを流し込んで

補強してあるとのこと。

Cimg4580

説明員の話は中身が濃い!

Cimg4578

変電設備の名残

Cimg4575

かつての写真も展示してあります。

Cimg4582

2階への階段は急で

片側は壊れているような所もあります。

注意して階段昇降です。

写真はいろいろ撮ったのですが

縮専にうまく入っていません。残念!

しかし

亡くなった方は女子工員もとても多い

・・・

戦後昭和44年12月頃から、この広大な面積を占める

米軍大和基地の返還運動が起こった。

昭和46年6月30日

大和基地は日本政府に返還された

しかし東大和市への返還はなく

最終的には昭和55年10月9日

市民が利用できる公園や学校の設置の要望にとどまった

戦争が終わっても

まだまだ米軍基地は依然として多くある。

砂川闘争をはじめとした

多くの市民運動が

基地返還を求める原動力となった。

操業・空襲そして

戦後の大和基地設置の歴史という

資料をいただきページをめくっている。

8月です。

いろいろと考える月刊です。





















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