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2015年3月14日 (土)

自己責任

ブログが中断していました。

たぶん多忙と,インターネット環境の不具合も。・・・

さて

もうすぐ議会も終わりに近づきました。

施政方針演説

これは平成27年度の市政をどのように行うのかを

市長が演説するのですが

今年の4月から

安倍政権の教育創世

教育改革が施行されます。

教育委員会の運営が変わり

教育長を各自治体の首長が任命します。

首長に

教育長の任命権と罷免権が渡されました。

教育委員長と教育長が一体化されます。

首長が

総合教育会議を招集し

教育の大綱などの策定を行います。

つまり

教育行政の最高責任者が

自治体の首長に変わるのです。

これまで

教育の中立性・公正性・継続性・安定性

と言う観点から

教育行政に政府や自治体が介入しないようにしてきました。

ところが

これからは地方の教育行政の権限が自治体の首長に・・・

これはかなり、教育の中立性からは遠くなる可能性も・・?

首長の息の根がかかった教育長が任命される・・・

首長に逆らえば?罷免権もある・・・。

何ともおかしな改革です。

と、

ちょっと前置きが長くなりました。

市長は

教育に関する思いを述べました。

少し引用します。

「日本も昔は自己責任の意識を持って

生活をしておりましたが、最近は少しばかりの権利主張が先んじて、

誰もそれをいさめないし、・・・(中略)

社会情勢がめまぐるしく変化する現代社会においては、

困難な状況下であってもたくましく自分自身の

未来を切り開いていくために「自己責任」の視点を養い

生きる力を身につける事が必要であるものと考えます。

生きることは、自分の責任であり、生きていくことは

誰かが手をさしのべてくれることを

期待して待つことではありません」・・・

教育行政が変わることを念頭に置いての

教育に関する市長の思いなのです。

私は驚きました。

さらに恐怖が走りました。

また

本当に背筋が凍りました。

この言葉を誰に向けて発信しているつもりなのだろう?

教育を口にして言うべき言葉では決してない!!

この言葉で

どれだけ大勢の子どもたちが傷つき

どれだけ大勢の保護者が傷つくのか

反対に政治や教育者の役割放棄とも言える・・・

こうした考えに及ばないのだろうか

教育の責任者が

こうした言葉を発したのなら

政治の役割は何もないのです。

子ども達の背景を

様々に思い描きました。

涙が出るほど悲しく思いました。

貧困の格差を拡げてきた政治の責任

それを問わずして

「自己責任」を問えるのだろうか?

子どもの貧困率が16.7%

6人に一人が貧困と言われる日本の子ども

こうした状況を作り出した政治の責任を問わず

これも自己責任ですか?

日本のシングルマザーは

一番長く働き通している実態を

知らないとは言わせません。

働かなければ

子どもを養えないのです。

だから

仕事を二つも三つも

掛け持って

子どもに手を尽くす時間がないのです。

こうした実態も配慮できないのでしょうか

「家庭は教育の原点」とも繰り返す市長です。

社会の最小単位である 家

この

家制度、家機能が崩壊して

もうどれだけ立つのだろう

私が福祉心理を学ぶために

東北福祉大学に通信で通学していた頃

社会学で学んだときにはもはや

家の機能は失われていました。

介護保険制度が導入されたときも

こうした背景がありました。

家機能が失われているから

介護の社会化と言われたでしょう。

子どもの背景の家にも様々な困難があります。

シングルマザーや父子家庭

または里親家庭

子づれ再婚家庭

虐待だって考えなければならない

用配慮の家庭がたくさんある実態を

教育に携わる人々は知っています。

子どものうしろに見え隠れする様々な困難な背景に

思いを寄せない教師はいないでしょう。

いじめもあります。

「教育の原点は家庭」と言いきれない実態があることを

教育の責任者は知るべきです。

「自己責任」

この突き放す言葉に隠れる悪意を

私は感じます。

政治家や行政の責任者が

こうした言葉を使うと

便利なのでしょう。

市政の根底に「自己責任」がはびこっています。

貧乏なのも、勉強が出来ないのも

非正規なのも、みんな「自己責任」といえば

政治の役割はなくなります。

どうしても

悲惨な事件が頭をよぎり

本当に悲しくなります。

「自己責任」は人間の温かみや

人のつながりや、絆さえ分断し

これが浸透すると

困っている人に手をさしのべることさえ人はしなくなります。

本来

人が困っていると

何らかの支援を自然に行うのが

普通のあり方です。

日本人はそうして、震災などでも

困っている人に心をよせて

出来る支援を自然に行ってきました。

「自己責任」論は、そうした

自然の支援さえ断ち切ってしまいます。

「自己責任」論を根底にして

教育への介入は怖いです。

何よりも大切な

人の教育に

将来を担う子どもの育成に

「自己責任」論は論外だと思います。

勉強したくても勉強できない環境に子どもがいても

自己責任ですか?

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